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  • 2013.02.15 Friday
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無宗教論者の宗教論

 久さしぶり、あの世からまた戻ってまいりました。
私はもちろん無宗教論者なので、あの世なんてことばはあまり使いたくないのだが
説明としては手っ取り早い使用だとは言える。ブッタが現代人であるかのような日本語
を使って戒めを説くというのは、人物伝中の客観ことばとして参考にはなるが、それが
宗教からみとなって説かれるのは、私にとってどうもしっくりこない。魂と肉体の分離なんて
ことも信じられない。魂を突き詰めるならば、それは「無」でしかない。肉体はしすれば
次第に形をなくし消滅し地球上の物質に変化する。もとの形を残すのは骨くらいのものか。
その骨もなんらかの成分になっていくのが関の山。魂があるのだとすれば、それはやはり
生存の条件でしかない。生人(死人の反対)のみが知りうる、生の現象である。

無宗教論者の宗教論

 久さしぶり、あの世からまた戻ってまいりました。
私はもちろん無宗教論者なので、あの世なんてことばはあまり使いたくないのだが
説明としては手っ取り早い使用だとは言える。ブッタが現代人であるかのような日本語
を使って戒めを説くというのは、人物伝中の客観ことばとして参考にはなるが、それが
宗教からみとなって説かれるのは、私にとってどうもしっくりこない。魂と肉体の分離なんて
ことも信じられない。魂を突き詰めるならば、それは「無」でしかない。肉体はしすれば
次第に形をなくし消滅し地球上の物質に変化する。もとの形を残すのは骨くらいのものか。
その骨もなんらかの成分になっていくのが関の山。魂があるのだとすれば、それはやはり
生存の条件でしかない。生人(死人の反対)のみが知りうる、生の現象である。

三度めの世帰り

 そろそろお盆も近くなったので世に出てみるとするかな!  というわけで、この世はなんやら、相変わらずの状況のようだ。大震災が起きた後だというのに、人間どもも相変わらずに、ノホホンとすごしているようじゃ。まあ、「あの世」での人間評価は、これが相応のものとはなっていて、事、人間に関する限り当然の姿となっている。なぜなら、あくまでも人間はそれ以上でも以下でもなく、その与えられた「自然枠」内にとどまらざるを得ない存在だからであり、枠外に出ることは不可能であるということは定説であるからじゃ。 人間は、あくまでも人間なのじゃ。人間どもが地上のある地点で「システム」と称する「場」を作り上げ、人口の英知を駆使して、人間の性(さが)を存分に発揮できるよう「社会」と称する集中地域を存在させている。かっては、それは地上にてんでんばらばらに存在していて、自然空間との境も希薄であり、点と点もスムースにはつながっていなかった。だから「国家」などという「枠」が必要になったりした。現在もその枠はそれほど変わってはいない。「母語」集団の枠組みもかなり解消できているように見えるがそれはたんにシステム上の中でだけであり、一種幻想的な枠であり実に脆弱なものである。もちろん人間は過信してはいる。「過信」は自然が人間に与えた、もう一つの特性ではあるが、自然はその完成を与えてはいないのである。人間がこの地上で「別」のものになってもおなじである。  毎度の事ながら、何かが起きると人間は過信を増強させようとするが、完全は天与ではない。そのように作り上げているのに、この「過信」が邪魔をするようじゃ。まあ、堂々巡りさせるように作り上げたわけではあるし、そうしなければ天界がこまるわけだからしかたがない。人間は有限の存在を世代ごとに繰り返させ、決してその蓄積は不可能であることを、これだけ知らしめているのにもかかわらず、そのあたりの納得がどうもできていないようじゃ。蓄積はせいぜい一代のみ、次世代からはまた最初からやり直しさせるよう構造的に設定してあるものを何によって「過信」するのであろうか?

インターネットを市場資本主義の勝利にしてはならない!

  迷惑メールにはほんとに悩まされる、いったいこんな環境で年寄りたちが便利だとそそのかされて年金からやっと手にした環境で迷惑メールに追われてコミニケーションもままならない、やれウイルスだ、ファイヤーウオールだと毎日やっているばかりのネット環境を年寄りの誰もありがたがっているものはいない。ネット環境は、日本の場合、最も人口数の少ない中間年齢層だけが対象のようでこれでは単に半分の数でしかない。ネット上の「総意」なんて一部の「意見」にしかならないのは確実だ。
 スパンメールは送られることで商売になっている。このスポンサーはもっと気を使うべきだ。スポンサーは「数」にだまされてはいけない。スパンの送信者が金にならないでこんな事をやっているわけがないのだ。彼らを助長させているのはいったい誰だろう?巧妙にその仕組みをわからなくさせているのもおかしい。みんなで「おまえのせいだ」とできるのがネット環境でもあるのである。

NHKさまさまデス、が受信料高すぎる!

 NHKがこの連休に5.1サラウンドの長時間番組をやっていて、その後半が音楽番組だった。一つはベルリンフィルがイギリスのオックスフォード大学構内のホールでブラームスを生ライブするというもの、もう一つはアメリカのトランペットの貴公子クリスホッテイのコンサートだった。私はホームレスだから5.1サラウンドTVを持っていないので2チャンネルのステレオでしか聴けなかったが、これだけでももうすごい興奮だった。スタジオの若いゲストがブラームスの交響曲第一番を「ブラワン」と呼んで親しんでいるというのにも驚いたが、このコンサートが生で衛星中継しているのにもおどろいた。
こんな具合に居ながらにして同時に楽しめるなんて、世界どこの国にもないだろう。現に、この日はNHKだけが会場に入っている唯一の放送局だった。また、ベルリンフィルはブラームス本人がこの「ブラワン」を指揮したオーケストラでもあるということがその歴史の長さを感じさせて感慨深かった。楽団員は世代交代しているとはいえ、なんだか気が遠くなる。それに、この楽団には日本人が6人もいて、コンサートマスターは日本人だったし、もう驚きずくめである。僕はブラームスをそれほど好きではないのだが、鳴り物入りのこの番組に驚いているうちにあっというまにその時間が過ぎてしまったのだった。
 こういうトピックを横に音楽聴くことが増えた。このあいだもNHK交響楽団が鳥取に来演したときもこれまでのような聴き方をしなかった。楽団員の顔ばかり物色していたのである。久々の生演奏だったのでドップリと浸りきろうと思っていたが、いつも曲だけ、そのものを聞いていていつのまにか、楽団員まで神聖視していたようで、この日楽団員のあまりにも身近に居る兄ちゃん、姉ちゃんおじさん顔にちょっと失望して物色になってしまったのだ。「新世界」望郷の念が吹っ飛んでしまい、私のすぐ目の前にいた第二バイオリン奏者を見つけてしまったのだった。この大いなる確信!最終挨拶の時目があって益々核心の念を深めたのだった。楽団員の素性を調べる方法はないものかあれこれ考えてしまって妙なコンサート体験になった。まさにNHKさまさまである。でも受信料がちょっと高すぎる。

危機意識の奇妙さ!

 新党立ち上げがかまびすしいが、ユニークなのは、地方の知事経験者や市長らが決起する「新党」(まだ名前はない?)だろう。この人たちにも防衛感覚はない。経済が中心である。にもかかわらず防衛費の問題などなにも語られてはいない。節約、合理化と声たからかだが、米軍基地の存在は防衛費節約になっていたのでは?どの県の首長も率先して節約、合理化のために米軍基地を率先して招致するのが筋ではなかろうか?島根県などは、国の優柔不断のために「竹島の日」まで設けたではないか。米軍基地を大いに招致すべきではないか。それがいやというなら、その本音は日本国軍の独立ということか?妖怪の我が街鳥取はどうか?石波さん、あなたの防衛論を実施に移すためにはこの妖怪の街に米軍基地を移設させるのが筋ではないのか?なんだろう、このおかしな感覚は。


自民党の築き上げた社会はなぜこうも疑わしさが残るのか。

  我が妖怪の街は私が生まれてこのかたずっと自民党王国である。ホームレスが政治の話をしたってしょうがないが、そういう王国でいきてきた人間として感覚的にずっと植え付けられたものがある。それは庶民感覚には物事のありようが常に「さがりおろう!」という枠内で理解させられ、正当な理屈は理解できぬであろうと処理されてきたきらいがあるということだ。その結果、本音では「常に疑わしい」という二重構造が庶民にはうまれているということだ。すくなくともわたしのような人間にとってみればそういう二重構造を持たざるを得ないことを余儀なくされてきたといえる。

 世論調査によると、民主党の鳩山政権の支持率が低下したといわれる。どういう調査かしらないが実にいいかげんな調査だ。長期にわたって自民党が築き上げてきたものを、たかが似三ヶ月でひっくり返るわけがないのだ。党首討論で自民党がたたけばたたくほど、自らの埃や膿を出しているということなのに、それがわからないのだから始末に終えない。普天間の問題などは、自民党が秘密裏にごり押しで進めてきた問題だったのではないのか。日本にとっての防衛問題を、国民自らが選択しなければならないようにすべての問題をフラットにさらけ出してしまおうとしている現政権のやりかたのほうがよほど理にかなっているのである。全国民だれもが基地をおくのを嫌がっているが、ならば防衛はどうするのかの答えはどこも出してはいない。いかにも国まかせである。その任せ方が「勝手すぎないか?」沖縄は特例すぎるが、鹿児島県などはちょっと身勝手すぎる。まず先に日本の防衛をどうするかその答えをだしてからにしてほしいものだ。

ローマ法王よ、おまえもか!

  また酒を飲むようになってしまった。酒をやめたのは単に金銭的余裕がなくなったからという理由ではあったが、もう一つ20年間の水商売の後遺症が、それをやめて、2、3年後に出てきたかのような健康診断の結果が、「脂肪肝」とでたからでもあった。しかし、「死のコース」でよく考えてみれば、こういうことを気にするといのはおかしなことではないか?十年も生きるはずのない人間がいったい何のためにストイックにいきなければならぬのだ?とも思うのである。実は私がなぜ酒をまたあおぐようになったかといえば、それはこのパソコンに向かうためなのである。長時間パソコンのキーボードをたたいていることができなくなったのだ。あちこちが痛いのである。さっぱり手がうごかない。ためしに一杯あおってみたのだった。酒で麻痺したからだはかなりの時間維持できるようなのだ。こういう文章を打っているときは、だから大抵からだが酒で麻痺している。たばこもよく吸う。あしからず!

 話はがらりと変わる。同性愛の問題がなかなか解決できないカトリックの世界が、とうとう総本山バチカンのローマ法王に発展し、とうとう中枢から明快な答えをださなければいけなくなったようだ。これまでは、ほとんどトカゲの尻尾きりでごまかしてきたのだがいよいよ中枢まできてしまった。なにしろ法王自身の問題でもあるのだから何をかイワンやであろう。法王を取り替えてまた済ますつもりだろうか?

死を見つめ続ける小説とは?

 「死を見つめつづける作家」とはいったいどんな作家人生を送っている人間なのだろうか?興味津々な作家である。その名は、天童荒太という(プロフィールはこちらです)そうである。純文学畑ばかりを漁っている私にはその範囲になかなかお目見えしない作家だったので、こうして引っかかったのは、こっちのブログ、死へのコースから浮かび上がってきた存在だったのだ。我が妖怪の街でホスピス医をしている徳永進氏との、文芸春秋(3月号)での対談がきっかけだったというわけです。「悼む人」という作品があるそうだ。おそらくメディア的には、例の映画「おくりびと」ブームの評判内範疇に入っているものなんだろうと思われる。氏は、わざわざ妖怪の街鳥取に来ての対談で「人生とは、常に死を愛しみつつ、それと背中合わせで生きるものだ」と語っている。正にわたしが今暮っている「人生」そのものの真髄を語ってくれているのだった。
 人の人生は常に「死」をなんとか、できるだけ忘却して、あるいは、それは無いものとして生きてしまっているのが常である。人生の青春真っ只中で宿命の「死」を絶えず意識に顕在化させつつ生きる「生」がかってあっただろうか?「愛と死をみつめて」のような具体的な人生でしか、人の人生は死というものを意識しなかったはずなのだ。戦争真っ只中ではそうもいくまい。過去の多くの日本人は、せめて「戦争中の人生」を送ったばっかりに、その人生は「死」と隣り合わせだったが、平和ボケが始まって以来(戦後の平和)、現在の「死なる人生」からは遠ざかってしまった。良い結果だったのだが、ボケて弊害化してしまったのだ。みな不死鳥ばかり求めるようになってしまったのが、残念である。

「愛子さま不登校、私はこう考える」(文芸春秋)

  雑誌「文藝春秋」(五月号)の記事「愛子さま不登校、私はこう考える」は面白かった!
9名の識者がそれぞれに反応している。名前だけは記しておこう。「学習院神話の崩壊」が保坂正康(ノンフィクション作家)、「愛子さまのご教育への疑問」佐藤愛子(作家)、「皇統の母性」福田和也(慶応義塾大学教授、文芸評論家)、「学校よりも大事なこと」磯田道史(茨城大学潤准教授)、「心の勁さを養う」桜井よしこ(ジャーナリスト)、「女性宮家の創設を」笠原英彦(慶応義塾大学教授)、「受け皿が不可欠」和田秀樹(精神科医、教育評論家)、「皇室と”ふつう”の間」香山リカ(精神科医)、「学校にまかせて下さい」川嶋優(学習院名誉教授)である。かぎ括弧は反応記事のタイトルだ。()括弧は本人の職業である。文芸春秋社の人選である。

 人選に不満はあるが、識者9人全員の共通点は、皇室、宮家ともあろう存在がなぜ?「意外!」という驚きと、東宮太夫のメディア発表への批判が共通している。9名の論説はさまざまだが、感じることは、戦後人間天皇になって、われわれ庶民に近づき、平成の皇室は、過っての江戸時代のように、象徴象徴といわれつつも、その存在感がしだいに薄れつつあるように感じることだ。「グローバル」の波は伝統にも、文化にも影響し、各国のカラーはその国境線ではもう守れなくなってきているということだ。ということは、文化でもなく、伝統でもない、人間的な王権というものが創造されねばならないということだ。そんなことがはたして可能だろうか?

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